駅を出た道向かい、冬枯れの花時計の前に、細身の、薄いシルエットを見つけた。声をかけるには微妙に遠く、メールをするか、近くまで寄るか一瞬迷った間に、相手もこちらへ気がついたらしい。問題集らしい厚みの本から顔を上げて、ぱっと表情を明るくし、 「健二さん!」 赤信号に飛び出して轢かれそうになっていた。 信号が青に変わってからも、クラクションが耳奥で唸っている。危うく車道から一歩退いたその人に走り寄れば、照れたように苦笑してみせるのだった。 「健二さんって、本当に…」 「鈍臭いって?わかってるよ」 目を離せない、と言いかけたのを、音になる寸前で、なんとか飲み込んだ。肩からかけたスポーツバッグを取ろうとするのをよけながら、さりげなく車道側に回る。 年上の癖に危なっかしいようで、時々人が変わったように、激しい横顔を見せるのがよかった。夏空の下で見た激情、数学の話をする時の心底楽しそうな声音、彼の情報は、コンタクトを持つ度修正され、上書きされていく。教科書で見た、鉱物を含んだ石を思わせる人だ。割ってみるまで本当の価値は分からない。頼りのない見た目にそぐわない、踏まれても立ち上がる麦のような、折れない芯を持っている人。それは自分だけが知っていればいいと思うし、そうでいないことに、ちりちりと胸の底が焦げるような不満を覚えるくらいには、佳主馬は健二のことを気にかけている。 「佳主馬くんが声掛けてくれなかったら轢かれてたかも。ありがとう」 「別に」 彼が暢気に笑うのを、なんとなく見ていられなくて、目を背ける。 最近、健二が絡むと、自分は少しおかしくなる、と佳主馬は思う。今日だって変だ。スポンサー契約続行の関係で上京してきた自分を、本当なら夏希が高校の帰りに拾って、篠原家に世話になるはずだった。それを夏希が生徒会の引継ぎがある、と言い出し、代わりに健二くんにお迎えお願いしたからね、私と健二くんと佐久間くんと四人でお茶でもしよう、物理部で待たせてもらって、と明るく提案してきた。 従姉の無邪気な女王様ぶりに半ば呆れながら、心のどこかが、大海原に抱かれた小船のように揺れているのを、佳主馬は見逃すことができずにいた。彼の名前を聞くだけで、ゆわんゆわんと撓むようにして、波打つ。OZ越しではなく、こうして直に顔を合わせるとなると、なおさらだった。すまし顔を作ってはいるが、ゴムボールを地面に叩きつけたように、佳主馬の脈は上下に跳ねて、自分でも抑えられないのがもどかしい。 「佳主馬くん、背伸びた?」 「まあ」 「うらやましいな。まだ伸びるだろうなあ、陣内の人達みんな背あるからね」 「伸びないわけないよ」 にらみ調子に見上げると、顔が思ったより近くて、一瞬心臓が大きく飛び跳ねた。そんな佳主馬の内心を知らず、健二はにこにこと機嫌よさそうに笑って佳主馬の顔を覗き込む。頭ひとつ分くらい違うのが分かって悔しく、あまり並びたくないのだった。 今はまだ、と思っている。それでも、何年か経ち、身長が伸び、この人を越えたら。その時、胸にけぶり、脳内を埋め尽くし、耳元で唸る、名前のない感情に、きっと名前が冠されるのだろう。だから、今はまだ。 「そうしたら佳主馬くんモテちゃうね」 「いいよ、そういうの。あんまり興味ない」 「ええ、もったいない」 佐久間が泣くよ、とこぶしを握ってみせる。 「かっこよくて、OMCでは強いし。頭もいいんだよね?その年で実業家だし。すごいよ」 「健二さん、ちょっと、もう」 「本当にすごい。かっこいいなあ」 唇からつるつると、大盤振る舞いされる甘言が、耳に滑りよい。寒さのせいだと言い訳できるよう、大げさに上着のジッパーを引き上げながら、熱く、赤くなる頬に手を寄せた。冷えた手が心地よかった。 「健二さん、それ、わざとやってる?」 「えっ、何が?」 「…なんでもない」
(091207)
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