夏希先輩がメインの話です





 去年と同じように、銀の鈴の前で待ち合わせ、同じ時間の新幹線に乗った。違うことと言えば、今回は席が隣同士だったことと、ひさびさに会った健二くんが、少し痩せ、顎から耳へのラインが幾分鋭角になっていたことだろうか。穏和な性格、中性の匂いがする見た目をそのままに、彼は背を伸ばし、喉仏を尖らせて、男の子を脱却しようとしている。
「健二くん、今から成長期?」
「そうみたい、です。春の健康診断からまた伸びたみたいで」
 電話越しでない話し声は久しぶりだった。どもりやつっかえは減り、今年の健二くんは、柔らかなアルトに近いテノールで、淀みない川の流れのように話す。それが少し気に障り、私は自分で話を振っておきながら、弁当を頬張ることで流れを切った。そうすると健二くんは、気弱に眉を下げ、窓の外を向く。青みがかって誇らかな山々が、後ろへ後ろへと飛び退いていく。


 二日目の昼。通りがかった広間の柱に凭れて、健二くんが遠くを向いているのを見つけた。
 一回忌と言っても、身内だけの簡易なものだ。どちらかと言えば、親族の集まりの方がメインに据えられている。
 去年の夏に引き続いて、健二くんを、上田に連れてきたのは、ひとえに私のわがままだった。アルバイト契約は、もちろん破棄されている。加えて私達二人は、連絡こそ取り合っていたものの、卒業前にごく淡やかな口づけを交わしたきりの、とても今どきの男女とは思えないような可愛らしい関係を保っていた。彼が長野の田舎に足を運ぶ必要性は、全くと言っていいほどなかったけれど、曾祖母の一回忌に託つけて、私は彼を引っ張ってきたのだった。健二くんは、着いた初めこそ緊張した面持ちをしていたけれど、子どもたちに追い回されたり、言われるがまま手伝いなどするうち、肩の力も抜けて振る舞うようになった。夕食の時などは、侘助おじさんや理一おじさんに囲まれて進路のことを聞かれたり、佳主馬と静かに話したり、すっかり馴染んでいたようだった。
 それでも、普段一人がちな彼には、少し疲れが見えた。ぼんやりとした表情で、ようやっと一息ついていたようだ。建て直された陣内の屋根の下は、どこも人の声のさらさらした粒子で満ちているのに、今は子どもたちも大人もいない。みんなそれぞれ出掛けたり、自分の部屋に戻ったりで、広間は珍しく静かだった。二人になるのは、ずいぶん久しぶりのような気がした。
「健二くん」
 呼ぶと、びくりと肩が跳ねる。
「な、夏希先輩っ?」
「いいから」
 じっとしてて。しゃがみこみ、手を上から畳に押さえつけると、簡単に跳ね退けられるはずなのに、彼は困ったように小首を傾げ、私の手元に目線を落とす。
 片手にマニキュアの小瓶を、片手に刷毛を握って、彼の手のひらを取った。暇つぶしに、自分に塗ろうと持ってきたものだった。たっぷりの液体を含ませた刷毛を、瓶の口でしごき、小指の爪に当てる。淡い水色をしたそれが複雑な色に光るのを、健二くんは所在なさげに見つめていた。自分の手だというのに。
「先輩、これ、冷たくて気持ちいいです」
「そう?」
「何だかプールみたいな感じで」
「そういうものなのかなあ」
 私がそれきり黙って爪にマニキュアを塗っていると、健二くんは時間を持て余し、やがてすうすうと几帳面に寝息をたてて寝入ってしまった。薄い胸板が上下する。
 私は、塗り終わったのに、彼の手を自分のそれに載せたままにしていた。夏も盛りだと言うのに、しっとりと冷たい、白い手だ。この体温を私は知っている。去年の夏に私の手を握った、静かな温度。去年と今年を繋ぐ、か細い糸の一本。私は、この旅行のはじめからずっと、去年の夏に戻る糸口を探している。
「知ってるんだからね」
 呟いた。佳主馬の目に、私と違う色合いを見つけてしまったこと。あの子が、健二くんを、私とは違う、熱を帯びた目線で見上げていること。気がついていない健二くんを見て、そのままで、とずるい願い事を抱いてしまう私は、去年と全く違ってしまっていること。ずっとこのままでいたいのに、そういうふうにはならないこと。来年は、健二くんはきっと、ここにはこないだろうということ。
 男の子はずるい。私を置いてきぼりにして、いつの間にか遠くに行ってしまう。
 膝を抱えて、額をつける。握った手を揺らしても、返事はなかった。


(091206)