ドラマや映画に出てくるような恋は、佳主馬にはどうにもきらびやかすぎる、装飾過剰の偽物に見えた。最後には必ずハッピーエンドが待っているのがわかっているから、泣いて怒って笑って、あれだけ周りを巻き込みながら派手に大騒ぎするんだと、佳主馬は年頃の少年らしく冷静に、阿呆らしいとさえ思っていた。
 あれが本物なら、じゃあこの気持ちはなんだって言うんだ?こうして、誰にも知られないように息を潜めている、この気持ちは?

「健二さん、今いい」
「うん、大丈夫だよ。何か用事?」
 チャットモードをオンにして話しかけると、思いの外速く返事が帰ってきて、キーを打つ手が一瞬止まった。女の子みたいに動揺した自分に舌打ちして、遅れを取り戻すように、常よりタイピングスピードを速める。
 夏以来、週に一度か二度くらい、OZ経由で数学を教わっている。高校生と中学生では、音楽の趣味や日々ある出来事が違いすぎて、チャットが盛り上がらない気がしたし、かと言って何もしないのでは、夏希との間に割り込むことは到底かなわない。佳主馬が頭を捻って考え出した、唯一健二との関係を保っておける繋がりだった。
「宿題でわかんないところがあって、教えてほしい」
「わかった。どんな問題?」
「これ」
 あらかじめ複合機で取り込んでおいたテキストを表示させ、ペンツールでなぞって、ファイルを共有すると、ちょっとだけ待って、と文字列が並んで、少しの間会話が途切れる。
 用事がなくちゃ話しかけるのすら許してもらえない。そのことが悔しい。お兄さん以外の呼び方にやっと慣れてきた。それが嬉しい。OMAの試合やエキシビションマッチで佳主馬が勝ったとき、おめでとうの短いメッセージが入るだけで、体育の100メートルダッシュを何度かこなした後みたいに心拍数が上がるのを、健二は知らないだろう。数学の点数が上がったと報告した時、健二の心から嬉しそうな声に、佳主馬が思わず息を詰めたことも、きっと知らないままでいる。
 ゴール地点は初めから絶望的に遠く、辿り着ける望みも薄く、砂漠の蜃気楼みたいに不確かなものだったが、佳主馬は諦めるのが嫌いだ。相手が強ければ強いほど、完膚なきまでに倒してやらなければ気が済まない。
「お待たせ。1問目の解き方はこれからたくさん使うから覚えた方がいいよ」
 メッセージが届いたことを報せるアラームが鳴って、パソコンに向き直る。解法説明に時々相槌と質問を挟みながら、ノートにペンを走らせていく。
 身の内に燻る熱い質量の名前を佳主馬は知らない。それは時折佳主馬に牙をたて、爪を剥き、荒々しく彼を襲う。圧倒的な力で佳主馬から色々なものを奪おうとする。けれども、これから、と健二は言った。まさにこれからだ。今はまだ地下深く潜めている気持ちは、時を見計らって咲く必要がある。ドラマや映画とは違って、華やかに表面化することも、誰に言うこともないけれど、いつか必ず自分と同じように、健二の支柱ごと揺さぶってやる。チャンピオンベルトと同じ、奪われたら奪い返す、それが彼の流儀だ。これまでの13年間に感じたことのない感情は、電脳世界の玉座を欲するのとよく似た、確かな欲求だった。


(091030)