寝返りをうったシーツが冷たくて、本格的に目が覚めてしまった。裸の肩が寒い。手を伸ばしても、そこに柔らかい手触りの髪の毛はない。遠くで水音がするから、きっとシャワーだとわかっていても何だか不安で、寂しく、衝動に任せて掛け布団に枕を引き込む。

 半年くらい前、初めて二人で飲んだ時、酔った勢いで隠していた「好きです」が口をついて、そうしたらもう止まらなくなってしまった。勢いで手を握りこむと、健二さんは小動物みたいに大きく目を見開いた。「好きって、ええ、どういう」とかぐちゃぐちゃ言い出して、酒が入って真っ赤だった頬がだんだん白さを取り戻していくのがわかった。
 誤魔化してもよかったはずだ。健二さんは人がいいので、冗談だよの一言で、すっかり忘れてくれたと思う。なのにそうしなかったのは、やっぱり自分も酔っていたのと、長年の我慢がもう限界にきていたからだ。10代のほとんど全部、そういう盛りをひたすら健二さんへの片想いに捧げた身としては、かなり長い間自制した方だと思う。そんなのは何の言い訳にもならないけど。そのまま食いついた首筋は、肌の表面から蒸発していくアルコールで、しっとりと熟れた果物のような匂いを発していた。

 無理やり抱いている。自覚はある。最初はなし崩しで、次の一度は男に抱かれたって言うのに、まだついていけずに混乱しているところを、強引に部屋に押し入って、やった。写真も撮った。後はもう、本当に無理やりだ。健二さんはぼろぼろと涙を零して、なのに口は一文字に結んだまま、必死で声を漏らさないようにしていた。時々息といっしょに短い喘ぎを漏らしては、絶望したように震える。その姿にまた煽られる。以下繰り返し。
 何度抱いても不安でたまらない。一度コップからあふれた水は地面に染みとおるしかないのだし、僕たちの関係も前までのようには戻るわけがないのだ。だから痛い思いをさせても、どれだけ嫌がられても、僕にはそれしかできない。抱くのをやめてしまうことで、本当に離れてしまうような、つながりが切れてしまうような、気がする。詭弁だ。
 お人好しで、優しくて、可哀想な健二さん。最初は警戒してメールも電話も拒否、だけど僕がアパートの前で1日待っていたら、根負けして部屋に入れてしまう。絶対に触らないから、と言ったら渋々ベッドに上がらせてくれる。その時は舐めた。何もしない訳がない。その内慣れてしまった健二さんは、普通に連絡を取ってくれるようになり、部屋に上げてくれるようになり、セックスもさせてくれるようになった。一方的に僕が健二さんをすり減らして、いい思いばっかりしている。
 遠かった雨音が止まる。風呂場のドアが開く音、身支度をする物音。どこか音楽的な響きのそれらに引きずられるように、少しまどろんだ。

 意識が浮上したのは、裸足の足音がフローリングを打ったからだ。ぺたぺたという軽い音を追いかけるように低いハミングが聞こえる。ハミングだって?
 布団にもぐりこんだまま目を見開くと、確かに鼻歌が聞こえる。小さく歌っているせいで、高音部が何度も途切れて何の曲か分からないそれの、同じ部分を健二さんは何度も繰り返す。古い映画のエンドロールに似た、朧い歌声。耳慣れないメロディが、耳殻の奥で静かに反響する。夢じゃない。
「佳主馬くん、そろそろ学校行くけど、佳主馬くんどうする」
 起きているとは露知らず、健二さんが布団越しに僕の肩を揺すぶる。
「遅れるよ、佳主馬く、っわっ!」
 無意識の内、健二さんの腕を掴んでいた。そのままの勢いで、ベッドに引き倒すと、スプリングが派手に鳴く。ぎゅうぎゅうと力一杯抱きしめると、まだ少し濡れている髪が頬に当たる。健二さんはひとしきり暴れた後、諦めたように体の力を抜く。こちらの顔を覗き込もうとするから、顎で頭ごと押さえつけた。
「痛いよ、佳主馬くん。嫌な夢とか見た?」
「別に。全然。ちっとも」
「はは、なんだよそれ」
 優しい手が伸びてくる。一度二度、髪を梳いて、離れていきそうなのを止めた。強く握った。
 苦しい時、悲しい時に歌なんか歌わない。何気ない歌声は、紛れもなく彼の機嫌がいい証左だった。言外に側にいることを許されたと解釈するのは、自惚れ過ぎだろうか?胸の裏から瞼に続く道が熱くなるから、目を閉じるほかなかった。
 もしこれを幸せと言うのなら、随分硬くて骨っぽい形をしている。


(091022)