四畳半の自宅には、クーラーみたいに贅沢な家電は置いていない。開けっぱなしの窓と、扇風機から送られる申し訳程度の風も、パソコンの排気熱で、帝人に届く頃にはすっかり温風だ。 なので夏の始めには、臨也が部屋に来ることもなくなってしまった。帝人が新宿のマンションに出向く。暑いのが苦手なんだ、あの人は。だったらあのふわふわしたコートを脱げばいいのに、と思わなくはない。 なにもない夜だった。夏休みの宿題はあらかた片付いてしまったし、チャットも今夜はみんな、早い時間にはけてしまって、「誰も入室していません」という平べったい文字列が、羽虫みたいに身体を震わせているだけだった。こんな中途半端な時間に起きている知り合いの心当たりもないので、もう本当にすることがない。 帝人は、パソコンの電源を落とすと、万年床にそのまま倒れ込んだ。薄くかいた汗がのりになって、シーツに張り付いた。東京で過ごす二回目の夏の、吐息じみて湿った空気が、なま白い肌を舐めるように動いた。夜の手のひらにすっぽりと包みこまれて、好きなように揺すられているみたいで、自分にはどうしようもないような、どうにも身を任せるしかないような感じが、なにかに似ていると思い、しばらくしてからそれが臨也とのセックスだと思い至って、帝人の頬はカッと熱くなった。けれどその熱もすぐに冷める。反射で下肢に伸びかけた手が、力なくシーツの海に沈んでいった。 臨也のことだから、たぶんまだ起きている。メールで、「臨也さん起きてますか」、それだけでいい。簡単じゃないか、親指をボタンに滑らせてたったの何十回、「うち来ますか」、「じゃあ今から行ってもいいですか」、「タクシー乗るお金ないんで歩いていきます」、どれも短いセンテンスのはずなのに、帝人はしばらく考えて、右手の指をピアノを弾くみたいに遊ばせたあと、やっぱり携帯を取り出すことすらしなかった。そして臨也もきっとそうしないだろう(臨也にも、無意味な時間を浪費しないといけない夜があるかはさておいて)。 自分と臨也の間で育まれているものが、恋愛ではないと、恋愛経験の少ない帝人ですら知っていた。そんな健全なものだったら、こうして眠れない夜中に、どうやったら時間を潰せるかなんて悩むことは、きっとない。そういえば、好きだとも、愛してるとも、言ったことも、言われたこともなかった。臨也のほうから手もつないでくる。キスもセックスもしたことがある。それなのにメール一通が打てない、ふたりの関係のいびつさに、帝人は、知らないうちに、薄く笑っていた。 今メールが打てたら、やたらめったら暑いくせに、さびしくて凍えそうな夜に、身も世もなく会いにいけたら、愛してるって言えたら。そうしたら、この関係も、変わるのかもしれない。どれ一つできっこないことをわかっていて、帝人は思う。無数のもしもが積もって、四畳半の窓の向こうには、終わりのない夜が広がっている。
(100815)
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