まつ毛の先まで細かく震えているのがわかった。胃のなかが、すっかり空になってしまった気さえするのに、俺の脳はそれを許さない。結果、もう何度目かわからない命令に従って俺は、薄黄色に濁った胃液を、力なく吐き戻した。喉も開ききったたあごも、便器に屈みこむ形で不自然に固定された背骨もぎしぎしと痛んでいる。けれど、一番強い痛みを訴えてくるのは、そのうちどれでもなく、身体の深く隠された部位、まあ端的に言うなら肛門だ。アナルセックスの経験がないわけではなかったが、何分少し久しぶりだったこと、加えて無遠慮に分けいってきたアレが、規格を上回るサイズ感だったことも災いし、心臓の鼓動に合わせて悲鳴を上げている。そしてその、歩く凶器、俺をこんな身体にしたモノ、の持ち主はというと、げえげえとみっともなく嘔吐する俺の背中を、さっきから不器用な手つきで撫でさすり続けている。
「シ、ズちゃ、そ、れ、やめてくれ……」
「あァ?」
 切れ切れに訴えかける俺の後ろ、シズちゃんが眉をつり上げるのが見なくてもわかった。だてに八年も知り合いをやっていない。
「恥ずかしがってる場合か。気持ち悪ィ時は全部出しちまった方がいいんだよ」
 どこか得意気な声に、そうじゃないよこのアホ、脳みそまで筋肉、バカ、本当に死んでくれ、ていうか殺すと思った。それぐらい俺だってわかってる。俺の背骨に沿って上下する手のひらから、シズちゃんの体温が移って気持ち悪いのだ。だから吐き気が止まらない。
 シズちゃんとセックスしたのは俺の部屋でだった。きちんとのりのかかったシーツの上で、女の子にはとんと縁のない、かわいそうなシズちゃんのために、俺が穴になってあげた。俺がけしかけたどのことについて怒っていたんだか、ドアを千切りとって(信じられないよね、キングコングみたい)怒鳴り込んできたシズちゃんの顔を見てふと思い付いたので、おもむろに誘ってみると、すごくキレられた。その状態からそういう流れに持ち込んだ俺は、本当にシズちゃんを嫌いなんだなあ、と自分でもしみじみ思う。
 俺にとってはただの興味本意かつ、嫌がらせの一環でしかなく、その顔が歪むのを見たいという思い付きのひとつでしかなかったというのに。それがどうだ。中で体液を受け止めたあと、その分の体積を逃がすように吐き気が込み上げ、このザマだ。部屋を飛び出す前に、下を履けて、シャツを羽織れただけでも上出来だった。
「出しちまえ、出しちまえ」
 便器に頭を突っ込んだ俺の背中を撫でながら、優しいぶってシズちゃんが言う。
シズちゃんの手はアホみたいに暑苦しいその性格に違わず、燃えるように熱かった。俺の体温が下がっているから、その手の輪郭が嫌でもわかる。炎で直接なぞって、見境なく直接暴かれるような、乱暴な温度だった。触れたあとから水膨れになりそうなほど熱くて、まるで火の川だ。同じ性別でも、同じ言語を使っていても、同じ空気を吸っても、セックスをしても俺たちは、決定的に理解しあえないだろう。そういう俺たちを隔てる川だった。
 それなら俺のこの、名前のつけようもない陽炎みたいな感情も、その手で焼き尽くしてくれたらいいのにと思い、なのにまた突き上げるような波が胃からせり上がってきて、物言わぬまま吐いた。気分が悪くて涙が出てきた。





(100719)
inspired by Misako Odani - 火の川