「甘楽はさあ」となりの、低い体温を感じながら臨也が言った。ふだん女性と同じベッドにいるときには使わない類の、平坦な声色だった。「シズちゃんのこと好き?」
「別に」甘楽は答えた。臨也に向かい合うようにシーツにくるまり、枕に小さい頭を乗せている。臨也より長めの黒髪が、流れるように散っていた。目を閉じている。薄い瞼の下で、きょろきょろと、せわしなく眼球の動いているのを、臨也は見るでもなく見ていた。
「乱暴な男は嫌い。暑苦しいし。うるさくて、野暮ったい。センスがない。自分で服も選べないなんてばかみたい。頭がわるい。今どき高卒だって。そんなの信じられない。お金がない男なんて男じゃないわ。大きくて見あげるのに疲れる。とにかくわたし、ああいう人趣味じゃないの」
 甘楽はひと息にまくし立てると、疲れたようにため息をついた。長い間生きてきた老嬢が、世を儚むのに似た、そんなか細い息だった。甘楽のこい睫毛が、空調に震えている。
「そう」臨也は笑う。
「そうよ」
「ならよかった」
「どうして?」
 甘楽が今、生まれたばかりのように、そっと目を見開いた。昼間に男の性器やほかの汚いものを見下げているようには、到底見えない、うつくしい仕草だった。臨也は彼女の額と自分の額をぴったりとつけ、臨也と同じ、光の入射の加減で血の色を透けさせる、宝石のような瞳と、視線が絡まりあうように、まろやかな頬を両手で挟む。
「甘楽は処女じゃないから」甘楽の身体が、びくりと大きく跳ねた。ただし、臨也のつくっておいた、ちいさな檻のせいで、視線が揺れることは許されないのだった。
「シズちゃんああ見えて、っていうか見た目どおり童貞だからさ、女の子に過剰な理想持ってそうだなって。俺は処女信仰とかよくわからないけど、アレはどうだろうね。下着は白か薄いピンクで、結婚したらうちに入って支えて欲しいってタイプだよ。甘楽の服や靴や、アクセサリーがどうやって買われてるか、シズちゃんは知ってるかな。知ったら甘楽のこと、散々に言うかもね。もしかしたら、ぶつかもしれない」男の手がそっと甘楽の頬から差し入れられ、髪を撫でて耳朶をくすぐる。「俺は甘楽に傷ついて欲しくないんだよ。甘楽は肌が白いから、黒い下着が似合うよ。奔放に男で遊ぶのがいい。俺はそう思う」
 甘楽はいまや、その大きな目をぱっちりと見開いていた。唇をかんで、けなげに耐えてはいたが、彼女の意に反して、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ち、シーツの色を変えていた。
「甘楽は」我慢ができなくなったように、ひいいっく、としゃくりあげる。「わたしは、シズちゃんなんてだいきらい」
 傷ついたけものがするように、甘楽は臨也に身を寄せる。今にも折れそうな身体で、全身臨也にすがっていた。肩口に顔が伏せられているのをいいことに、臨也は厳かに微笑んだ。「そう」
「きらいよ」
 ぐずぐずに鼻を鳴らして泣く女の頬を、臨也は伸ばした舌で舐める。そこは全く自分と同じ温度で、臨也を安心させる。塩辛く舌に広がる味は、母親の胎内で、原始の海で啜った羊水の味ときっと同じだ。




(100702)